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ニクラスは優勝トロフィーを松山に手渡し、「素晴らしい優勝者だ」と褒めた [「素晴らしい優勝者だ」と褒めた。]

米男子プロゴルフツアーのメモリアル・トーナメントで1日、

プレーオフの末、

初優勝を飾った松山英樹。

今大会のホストで「ゴルフの帝王」と呼ばれるニクラスは優勝トロフィーを松山に手渡し、

「素晴らしい優勝者だ」と褒めた。

プレーオフまでもつれる厳しい戦い。

それでも強心臓を持つ松山は動じることなく、

世界最高峰の舞台で価値ある1勝目をつかんだ。

次はメジャーで勝つことが目標」ときっぱり。

22歳の若者は頼もしかった。

顧みれば、

松山英樹がプロ転向2戦目で初勝利。

終盤の4連続バーディーで2位以下を突き放した圧倒的強さは、

「松山時代」の到来を予感させた。

「ナイスプレーだったな」。

表彰式で、

日本ツアー最多の94勝を誇る尾崎将司に肩を抱かれ、

耳元でささやかれた松山。

大先輩から最高の賛辞を贈られ、

「偉大な人から少し認めてもらえた気がした」と喜んだ。

66歳の尾崎将は大会初日に「62」をマークし、

自らの年齢を下回るエージシュートを達成。

大会4日間を通したベストスコア賞を獲得し、

優勝した松山とともに表彰式に出席した。

最後は51位に終わったが、

「今週はうれしかった。

声援もすごかったし、

ここにいて良かった」としみじみと語った。

さらに松山の優勝を「可能性のある選手だけに、

驚きもしなかった」と振り返り、

「でも強かったね。

プロのゲームだ」と、

一時代を築いた自身のプレーと重ね合わせた。

近年、

男子ゴルフ界を支えた石川遼が米ツアー挑戦のため渡米し、

「遼がいない分、

松山が日本のゴルフ界を引っ張ってくれないとおもしろくないよ」とエールを送った尾崎将。

王者のバトンは、

次世代へと引き継がれた。

昨年、

史上最年少で賞金王に輝いたプロゴルファーの松山英樹選手が20日、

4年間通った東北福祉大学を卒業した。

卒業式に出席した松山選手は「率直にうれしい。

大学4年間あっという間だった。

サポートしていただいた関係者の皆さんには本当に感謝しています」と喜びを語った。

白の羽織袴姿で卒業式に出席した松山選手は、

1520人の卒業生とともに卒業証書を受け取った。

卒業式後の会見では「これからもゴルフを通じて頑張り、

仙台に恩返しし、

貢献していきたい。

ここでの日々は忘れることはない」と思いを口にした。

松山選手は、

4月10日に開幕するマスターズに出場する。

2年ぶり3回目の出場となるが「(2011年に)初めて出場したときは震災後で、

仙台の皆さんに支えられて出ることができた。

今年は上位進出を目指し、

メジャーで優勝できるように頑張りたい」と意気込んだ。

ところで、

2日午前に飛び込んできた松山英樹選手の米プロゴルフツアー初優勝。

米オハイオ州ダブリンのミュアフィールドビレッジGC(パー72)で

開かれた米男子プロゴルフツアーのメモリアル・トーナメント。

本格参戦1年目での快挙

国内外で通算81勝を挙げた青木功プロは「いつかは優勝すると思っていたが、

意外に早かったな」と驚いた。

日本人選手初の米ツアー優勝を飾った青木プロでさえ、

手が届いたのは40歳。

「英樹は、

やっぱりタダものじゃないよ」と舌を巻いた。

松山選手がプロ入りした昨年、

日本ツアー賞金王となった活躍を目にする度に「あいつ、

本当にうめえな」とうなっていた青木プロ。

特に注目していたのは、

松山選手の人並み外れた精神力の強さだ。

「世界の頂点で戦えば普通は物おじするものだが、

競う相手が誰であれ優勝しか見えていない。

あの鈍感さは魅力だよ」

松山選手と青木プロとの関係は深い。

出会いは、

松山選手が小学1年生の時。

父幹男さんとともに、

ゴルフを始めたばかりの松山選手が

故郷・愛媛で青木プロのジュニア教室に参加した。

青木プロは「大きな声で『僕は松山英樹です』ってあいさつしていた。

はきはきした子だな、

って思ったのを覚えているよ」と振り返る。

その時一緒に撮った記念写真は、

今も松山選手の実家の居間に飾られているという。

「レッスン中、

青木プロから『松本くん』と間違えたまま呼ばれていました」と苦笑する松山選手だが、

自身のプロゴルファーの原点とも言える存在の青木プロがつけた世界への道筋を、

着実に歩んでいる。

米オハイオ州ダブリンのミュアフィールドビレッジGCで

開かれた米男子プロゴルフツアーのメモリア

ル・トーナメントで1日、初優勝を飾った松山英樹選手。

松山選手が所属した明徳義塾高ゴルフ部の吉田茂雄部長は「努力家で、

部活後の練習場にいつまでも響く彼のパットの音を覚えている。

言葉や環境が違う米国でも、

彼ならやれると思っていた。

次はメジャー大会での優勝を」と話した。

また、

出身地・松山市の野志克仁市長は「最年少で快挙を成し遂げ、

市民も多くの勇気や感動をいただいた。

今後のメジャー大会でもさらなる飛躍を遂げられるよう願っている」とコメントした。

ほんとに、すごい人がいるものだ。

これから、

どれだけ活躍するかも、

楽しみです・ネ。

ecar

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