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トップ急死、そのとき「組織」はどう動いたか [不断のガバナンスの重要性]

おはようございます。
ecarです。

今日は、

【トップ急死、そのとき「組織」はどう動いた】

をお届けします。



トップ急死、そのとき「組織」はどう動いたか…不断のガバナンスの重要性

農機大手、
クボタの会長兼社長として辣腕をふるっていた益本康男氏が6月、
出張先のホテルで急死した。
悲しみが広がる中、
木股昌俊副社長が当面の社長業務を代行し、
約1カ月後に社長に就いた。
過去にも事業展開や経営改革を主導した吉本興業の林裕章会長、
大阪証券取引所の巽悟朗社長らが病で急死し、
後任を急いで選ばねばならなくなったケースがみられた。
権限が集中しやすいトップは激務が続くだけに、
万が一を考えて絶えず後継体制づくりを意識しておく必要がある。



副社長が代行し、社員を鼓舞

8月7日、
大阪市北区のホテルで開かれたクボタの益本氏のお別れの会には関西の経済界を中心に約3千人が参列し、
「これからというときで残念」
(幡掛大輔元社長)などと悼んだ。

 

益本氏が死亡していたのは6月4日。
出張先の東京都内のホテル浴室で倒れているところをホテル従業員が発見し、救急隊が死亡を確認。
その後、
死因は致死性不整脈と判明した。

 

親分肌の豪快な人柄で知られ、
現場を鼓舞してきたトップの67歳での急死。
社内に悲しみが広がるが、
社業を停滞させるわけにはいかない。
すぐに訃報を公表するとともに、
益本氏と同じ機械事業畑出身で代表権を持つ木股副社長が当面、
社長業務を代行する態勢を決めた。

 

木股氏は同日夕、
社員が落ち着いて業務に取り組めるように社内ネットで次のようなメッセージを発信した。
「悲しみに堪えませんが、
クボタグループはどのようなことがあろうとも事業を通じて社会に貢献し、
発展し続けなければなりません。
それを果たしていくことがわれわれが引き継ぐべき使命です」。

 

残された木股氏ら社内取締役5人は毎晩集まって社業について協議するとともに、
同月20日の株主総会もリハーサルを入念に行うことで無事に終えた。
そして7月8日の取締役会で木股氏の社長就任を決めた。

 

新体制のクボタで農業機械総合事業部長を務める北尾裕一取締役は
「(益本氏は)カリスマ的リーダーシップの持ち主だったので、
亡くなって1週間くらいは戸惑ったが、
ビジネスへの影響はない。
私も農機の責任者として遺志を継いでやっていきたい」
と意気込む。



意向をくんだ人材が昇格

このほか、
辣腕をふるっていたトップが急死したケースでは平成15年12月、
腸閉塞のため大阪市内の病院で死去した大阪証券取引所(現大阪取引所)の巽悟朗社長=
当時(68)=
が思い起こされる。

 

巽氏は大阪の証券街・北浜で独自の相場観を発揮し、
25歳で光世証券を設立。
一代で上場企業に育て上げ、
「北浜の風雲児」
と呼ばれた。

 

12年に大阪証券取引所の理事長に就任。
前経営陣による個別株オプション取引をめぐる仮装売買問題からの信頼回復に努めるとともに、
米ナスダック市場と提携した新興企業向け市場の創設、
大証の株式会社移行などでリーダーシップを発揮し、
北浜の活性化に尽力していた矢先の死だった。

 

その3日後に後任社長となったのは、
日銀出身の米田道生(みちお)専務。
米ナスダックとの交渉担当役員を務め、
巽氏を補佐してきたこともあり、
米田氏の昇格は巽氏の意向だったともされる。

 

その後、
大証は25年1月、
東京証券取引所グループと経営統合。
東証の国債先物取引などのデリバティブ(金融派生商品)部門を吸収するなどデリバティブに特化し、
日本取引所グループの大阪取引所となったが、
巽氏が存命だったなら、
この選択をどのように評しただろうか。



会長、社長とも不在に

「お笑い」の吉本興業では17年1月、
創業家の林裕章会長=
当時(62)=
が肺小細胞がんのため、
大阪市内の病院で死去した。

 

林氏は吉本の
「中興の祖」
とされる故林正之助氏の女婿。
11年に社長就任後、
本業のお笑いの強化だけでなく、
音楽やスポーツなど多角化を推進したが、
16年7月に体調不良などから会長に退いた。

 

同社は林氏の復調後に会長兼務などで社長に復帰することもにらんで後任を置かず、
代表権を持つ吉野伊佐男副社長(当時)ら取締役の合議制で業務運営にあたる体制を取っていた。
そのため、
林氏の急死で会長、
社長ともに不在という異例の事態となった。

 

2日後の取締役会で、
現場に精通した吉野氏の社長昇格を決定。
社長就任会見で吉野氏は
「吉本イコール面白くて楽しいというブランドイメージをもっと世間に定着させたい」
と抱負を述べた。

 

その言葉通り、
同社は
「お笑い」
を中心に成長を続け、
現在は吉野氏が会長、
大崎洋氏が社長を務めるが、
創業家である裕章氏の妻との間で経営の主導権をめぐり、
“お家騒動”が生じたこともあった。



突然の凶行で…

病気以外のトップの急死で衝撃的だったのは25年12月19日、
「餃子の王将」を展開する王将フードサービスの大東隆行社長=
当時(72)=
が京都市内の本社前で射殺された事件だ。
経営不振の全国チェーンを立て直した
“やり手”
の経営者を突然の凶行で失った同社は悲しみにうちひしがれながらもこの日、
営業畑の長い渡辺直人常務を後任社長に選んだ。

 

26年1月、
就任後初めて記者会見を開いた渡辺氏は
「大きな柱をなくしたが、
私の使命は道半ばで倒れた大東氏の遺志を継ぐこと」
と表明。
その後、
京都市内のホテルで営まれた社葬には社員や取引先関係者らだけでなく一般市民も参列し、
約2400人が大東さんの死を悼んだ。
事件は未解決だが、
「餃子の王将」
には追悼のために来店する王将ファンも相次いだ。

 

企業の事業承継を研究している近畿大学経営学部の芦塚格(いたる)
准教授(中小企業論)はトップの急死に伴うリスクについて、
企業規模や業種、
組織化の程度によって当面の影響は異なるとしたうえで、
「あるべき経営の姿や理念を組織に浸透させ、
従業員が価値観を共有できる土壌を築くことができているかどうかも影響する」
とみている。

 

クボタの久保俊裕副社長は益本氏の急死後も社内が動揺せずに業務にあたることができた理由について、
「特別な秘訣やコツはなく、
社長なしでもガバナンス(企業統治)体制がしっかりできていたからだ。
われわれの事業規模では、
そうでないといけない。
もう一つあえて言えば、
従来以上に頑張って業務に邁進する従業員の底力があったということ」
と力強く語った。



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本日も、
最後までお読みいただきまして感謝いたします。
ありがとうございました。
それでは、
ごきげんよう!

ecar

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